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2006年05月30日

靖国神社☆ケビン教授の考察

今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


久しぶりに感銘を受けました。

25日から3回にわたり
産経新聞に掲載された
ケビン・ドーク米ジョージタウン大教授の
靖国参拝の考察」です。

特に興味深い部分を抜き出してご紹介します



靖国神社





「一般に靖国をめぐる論議は
 戦後だけのことと思われているが、
 実際には1930年代にもあった。」として、

1932年5月、
上智大のカトリック信徒が
軍事訓練中に
靖国への参拝を命じられたのを拒み、
学長も支持するという事件を紹介。

東京地区のシャンボン大司教が
文部省や陸軍省に
参拝は宗教的行事かどうかを
正式に問うたところ、

「参拝は教育上の理由で、
 愛国心と忠誠を表すだけで、
 宗教的慣行ではない。」との回答をえます。

これを受け、ローマ教皇庁は
36年5月に、
日本の信徒に向け、
靖国参拝は宗教的行動ではないため
 日本のカトリック教徒は自由に靖国を
 参拝してよい。
という通達をだしたそうです。

これは日本という主権国家の
内部での慣行への尊重だといえると
教授は考えます。
さらに重要なのは、
戦後の51年にも、ローマ教皇庁は
上記の決定を再確認し、
現在に至っているという事実。


 なるほど、だから
 敬虔なキリスト教信者の
 大平元首相も
 参拝には何の疑問もなかったわけですね。
  

それと公私の別を問いただすことにも
合衆国大統領の例を示し、
疑問を投げかけます。

「ブッシュ大統領がキリスト教会を訪れても
 公私の別はだれも問わないし、
 それが宗教的礼拝であっても、米国内の
 仏教やユダヤ教、イスラム教などの信徒たちは
 自分たちの権利が侵害されたとはみなさない。」



さらにはA級戦犯の合祀が、
戦争正当化につながるという反論には、

「靖国が決してA級戦犯だけでなく、
 祖国の戦争のために亡くなった
 すべての人たちの霊をまつった神社であり、
 その先人たちの行動を
 絶対の正確さで
 善か悪かを判断する立場には
 現代の私たちにはないし、
 戦犯とされる人の霊に
 弔意を表したから、
 その人の生前の行動全てに賛意を
 表明するわけでもない。」


生きる人間は
 生や死に対し
 謙虚でなければならないとも思う。
(略)
 遠い過去に死んでしまった
 個人の行動を批判しても、
 もう故人は弁護はできない。 
 死者の行動の善悪を
 はっきり断定できるほど、
 私達が完璧とも思えない。
 戦没者への弔意表明にかんする限り、
 過去の戦争の是非のような判断は
 未来の世代、次の世界、
 あるいは神に委ねる事が
 適切だと思う。」


 この部分は、かつての大平首相の名言、
 「
A級戦犯、この戦争の審判というのは、
  歴史がいたすであろうと
  いうように考えています
。」
 にかぶさりますね。


A級戦犯が合祀されているから、
堂々と参拝できないという事に対する、
興味深い反論事実をアメリカを例に取り述べてます。


「南北戦争の南軍は合衆国に敵対し、
 奴隷制度を守るために戦った軍隊
 その南軍将兵の墓地は
 連邦政府の資金で保存され、
 政府高官も含め、
 多数のアメリカ人が訪れる。

 国立のアーリントン墓地にも、
 一部の南軍将兵が埋葬されているが、
 歴代大統領が訪れ、弔意を表す。 

 もし、
小泉首相参拝反対への理屈を使えば、
 大統領が国立墓地に参拝することは、
 南軍将兵の霊を悼むことになり、
 奴隷制を正当化することになってしまう

 
だが、歴代大統領も国民の大多数は
 そうは考えず、
 戦没者の全てが
 子孫からの敬意を受けるに値すると
 判断し、実際に弔意を表するのだ。
 日本側でそう考えたとしても、
 どんな支障があるのだろうか。


この話、続きます。 

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1. 森喜朗氏に告ぐ 『もうちっと頭使え』  [ やじざむらい的日々雑感 ]   2006年05月30日 07:58
 9月の自民党総裁選が近づくにつれ、喧しくなってきたのが靖国神社のあり方、また次期総理総裁が参拝するか否か。福田氏を御輿(みこし)に仕立てようとする勢力は、純然たる国内問題〈

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