忠臣蔵、吉良は本当に悪人か:ホームズの忠臣蔵 ☆ ホームズで忠臣蔵、吉良は本当に悪人かを解説!



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2006年12月16日

忠臣蔵、吉良は本当に悪人か

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


忠臣蔵はお芝居と昨日書きましたが、あのストーリをそのままに信じ込まないほうがいいですよ。

僕たちが知っている忠臣蔵のイメージやストーリーは、これすべて「仮名手本忠臣蔵」というお芝居が下敷きにあるものです。

例えば、松の大廊下での刃傷事件、この原因が芝居さながらの「吉良上野介のいじめ・いやがらせ」と考えている方は思い直したほうがよろしい。

「時は元禄14年3月14日。江戸城は朝から勅使や院使の歓迎式に追われる日でした。
 午前9時半ごろ、大奥の留守居番役、梶川与惣兵衛は桂昌院からの言付けを伝達しに、まず浅野に会いました。その後、白書院から吉良がやってきたので、向かい合い、立ち話をします。その時、突然、吉良の背後から「このあいだの遺恨覚えたか。」と切りかかってきた者があって、よくみればそれが浅野内匠頭だったのす。吉良は振り向きざまを斬られて、さらに逃げようとしたところを斬られます。梶川は浅野の背後からとびつき取り押さえました。」

・・・これが「梶川与惣兵衛筆記」に今も残る刃傷の情景です。

? 芝居では、浅野と吉良が直前にいさかいをおこしていて、そこに梶川が桂昌院の言伝を伝えにきますね。で、吉良が「そのような田舎侍に伝えるには及ばん。
フナザムライが。」などと罵倒。かっとなって刀の柄に手をかける内匠頭に、その手を扇子でたたいて「殿中じゃぞ。抜けば身は切腹、御家は断絶、さ、さっ、その覚悟あれば抜けぃ。」とあおりたてます。梶川は「吉良さま、そのあたりで。」とつつましくとめようとするのですが、浅野がついに暴発、大事件が起きるという設定ですね。

実際の状況検分書といってもよい「梶川与惣兵衛筆記」にはそのような記述はありません。
だから事件の冒頭からしてフィクションであり、吉良上野介はむしろ被害者です。

では芝居で言われるような吉良による「いやがらせ・いじめ」はあったのか?
例えばこんなシーンです。

A 数々の恨み。いわゆる、
 「勅使を迎える屋敷に置く屏風をわざと墨絵と指示し
  た。」
 「勅使にだす料理を、精進料理と間違えた指示をだし
  た。」
 「芝の増上寺の畳替えをしなくてもよいと指示をだし
  た。」
 「大紋ではなく長裃の衣装でよいと指示した。」

⇒ 芝居では必ず登場します。でも皆さん、冷静に考えて、ありえますか。そのようなことが。もし僕が接待を
指揮する吉良の立場で、わざと嫌いな部下に誤った指示をだし、当人に恥をかかせる?

 ・・・確かに恥はかくでしょう、でもそれは当人だけではなく、責任者の僕が、ひいてはその役目を僕に任せた会社(直属の上司、社長)が。でしょう? さらに当然その職務上の責任も問われるでしょうね。
 まして、これは勅使がやってくる、幕府にとって重要な接待なのですよ。吉良上野介がそんなリスクを冒してやりますか? ありえない話です。

B 吉良が指導料として莫大な賄賂を要求した

⇒ もしもこうした金銀のやりとりや要求があれば赤穂の記録に残るはずですね。赤穂側からすれば 接待の仕事をこなすための「公金」として処理できるのですから隠す必要はありません。

C 塩田の技術伝授をしなかった

⇒ 当時の塩田の技術といっても、自然に影響されるのが大で、吉良の塩田の技術に対し、赤穂の塩田技術がとりたてて優れていたというわけでもない。まして家をつぶすほどの恨みを持ったとは思えません。

はい、以上からして浅野が吉良に切りかかる理由はない
のです。「梶川与惣兵衛筆記」が記したとおりなんの前
触れもなくいきなり切りかかったとみるのが筋ですね。

何より当の赤穂浪士のリーダー、大石内蔵助も刃傷の理由を知ってはいないのです。

「去年三月、内匠頭儀、伝奏御馳走(でんそうごちそう)の儀に付(つき)、吉良上野介殿へ意趣
(いしゅ)を含み罷在り候処(まかりおりそうろうところ)、殿中に於て、当座忍び難き儀ご座候か 刃傷に及び候。(以下略)」

 去年の三月、主人内匠頭は勅使接待のお役目をいただきましたが、その間、吉良上野介殿に対し、恨みを抱いておりました。そして、殿中において我慢が出来ないことがあったのでしょうか、刃傷に及びました。(以下略)

これは「浅野内匠頭家来口上書」という資料。映画などで、討ち入りの直前に庭先に青タケにはさんで立てるヤツです。「俺たちはこういう理由で、吉良を討ちに来たんだよ。」と理由をしたためたものです。

ここで注意して欲しいのは、「殿中に於て、当座忍び難き儀ご座候か」と疑問形になっていること。
つまり、討ち入り当日になっても、刃傷の直接のきっかけとなった理由が、リーダーの大石内蔵助も分かっていなかったのです。

そして、もし相応の理由があったなら、ここに「接待での指示でこういう出来事があった」とか「財政をゆるがしかねない金品の要求があった」とか、上記にあるような理由があれば、もっと具体的に書いたはずです。 

だって、そうしなかったら、浅野は結果として、自らの短気からお家をつぶした暗君のように思われるじゃありませんか。

こういった点からも、刃傷事件に端を発した赤穂事件はあったけど、あくまでも「忠臣蔵」はお話としてみるべきなのです。
 


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