忠臣蔵、幕府の処罰は不当だったか:ホームズの忠臣蔵 ☆ ホームズで忠臣蔵、幕府の処罰は不当だったかを解説!



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2006年12月17日

忠臣蔵、幕府の処罰は不当だったか

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


忠臣蔵」という「お芝居」のせいで、いまなお冤罪を着せられたままの吉良上野介の哀れ、無念を僕らは忘れ
てはいけないと思います。

さて、実はこの「お芝居」で、もう一人損な役割を演じ
ている人がいます。

それは将軍徳川綱吉です。

つまり浅野と吉良の「けんか」なのに、一方が即日切腹、一方がお構いなしという仕打ちは「喧嘩両成敗」というルールに反している、おかしい、しかも大名の処分
をよく吟味せず、即刻処断するとは性急すぎる、綱吉の横暴さがゆえんだ・・などなど。


赤穂事件の発端となったのは、江戸城松の廊下での刃傷事件でした。

ではこの浅野ー吉良の刃傷事件意外に、こうした事例はなかったのか・・というと、実はあるのです。

[例1]
寛永5年(1628)目付豊島明重が老中井上正就(まさなり)を刺殺。
この処分は、豊島明重自身はその場で自害。豊島家は断絶。明重の嫡男は切腹を命じられ、刃傷の翌日には実行に移されています。

[例2]
寛文10年(1670)江戸城中の祐筆部屋で大橋長左衛門と水野伊兵衛が「けんか」、水野は刀を抜きましたが、抜いただけで相手の大橋は無事・・

これにどのような裁断が下ったかというと、水野には死罪。大橋はお構いなし。
? 明らかな「けんか」なのに両成敗ではないのです。ちなみにこれは赤穂刃傷事件の31年前の事件です。

[例3]
これは享保年間、同じ松の大廊下で、松本城主水野忠恒(ただつね)が「乱心」して、長府藩の毛利師就(もろなり)に切りかかるという事件が発生。毛利は鞘で身を守りました。

この仕置きは、水野は蟄居、毛利はお構いなし
「けんか」ではなく「乱心」です。

などなど。

・  ・  ・  ・

分かることは、なぜ両者の間でそういう事態になったのかは、あくまでも二次的な話であり、幕府からすれば、刀を抜いたかどうかかが大きな問題となるのですね。
殿中では、とにかく刀を抜くという行為自体が重大な犯罪行為なのです。おそらく公儀に対する挑戦的な行為、不敬罪という見方なのでしょう。

ことに浅野内匠頭の事件は、勅使をお迎えするという、まさに幕府をあげての一大セレモニーの中で引き起こした刃傷です。不敬罪プラス職務放棄という重大な背信行
為ですから、やむをえない、というより至極当然の処罰であったと思います。
いや、むしろ、もっと重い罪で裁いてもよいところを、武士の礼を重んじ、切腹を許しているわけで、この裁きで綱吉を責めるのは酷というものです。

一方、吉良は、最後まで殿中であることを忘れず、刀を抜いて応戦しなかったのですから、お構いなしという処置も全くおかしくありません。
それに加え、前回の梶川与惣兵衛筆記から、浅野と吉良の刃傷事件は、「けんか」ではなく、浅野の一方的な「暴行」ということは明らかですから。

もっとも綱吉という将軍はさまざまな所業から、決して褒められた人ではなく、個人的には嫌いです。
ただ、この浅野の刃傷事件での裁断は、巷で言われるような「片手落ち」な裁きではありません。

・  ・  ・

では、浅野内匠頭が切りかかったのはなぜなのか。

当日の刃傷の原因を知らなかった大石内蔵助が、これをあえて「けんか」として、吉良に討ち入ったのはなぜな
のか。

討ち入り後、一同が泉岳寺で切腹せず、幕府に捕らわれたのはなぜか。

以上のことで関心があれば、
「一精神科医による浅野内匠頭の精神鑑定書」
(中島静雄 著)
「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」
(井沢元彦 著)
をお読みください。目からうろこです。


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