2008年12月14日
赤穂浪士 切腹の絵図
ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
14日は多くの日本人にとっては忘れられない日、そう、討ち入りの日である。
しかし、この「忠臣蔵」がいわゆるお芝居であって、その後多くの人がこれを史実と勘違いしているという指摘が数多くなされてきた。僕もいくつか紹介してきたわけだが、そもそも敵となった吉良上野介が、一体いかなる理由で浅野に襲われなくてはならなかったのかがいまだに謎のままなのである。
ところが、多くの人は「吉良が浅野に意地悪をした」、いわく「饗応役の接待の仕方を教えなかった、例えば、畳替えを一方の伊達家には指南し、浅野には指摘しなかった・・云々」、これすべて後世の「忠臣蔵」というお芝居からのイメージ操作を受けている可能性が大なのである。
さて、今回赤穂浪士の切腹の様子を描いた絵図が見つかったとのこと(東洋大学の大野瑞男名誉教授が、歴史研究家だった父親の遺品から見つけたもの)。その場に居合わせた大名の細川家の家臣が描いた絵を、後に写した物と記されており、縦40センチ、横50センチ余りの和紙に切腹の場面がふかんの構図で描かれている。
絵図の左側に描かれている切腹後の遺体は大石内蔵助とみられ、中央で切腹しようとしている浪士は、副将の吉田忠左衛門とみられている。興味深いのは、ほかの絵と違ってリーダーの大石が脇役のように描かれ、早々と遺体となって処理されていること、また、ほかの浪士たちも罪人として隅のほうに描かれているということ。
ほかの切腹を描いた4点の絵より、最も早い時期に描かれたものというから、いわゆる「忠臣蔵」の影響を受けていない、つまり浪士たちが美化される前のごく普通の受け止めかたを描いているのではと思う。
「忠臣蔵」は日本の誇る最高のお芝居で、僕も大好きだが、史実はきちんと踏襲する姿勢は受け継いでいきたいものである。
ホームセンターからは・・・
14日は多くの日本人にとっては忘れられない日、そう、討ち入りの日である。
しかし、この「忠臣蔵」がいわゆるお芝居であって、その後多くの人がこれを史実と勘違いしているという指摘が数多くなされてきた。僕もいくつか紹介してきたわけだが、そもそも敵となった吉良上野介が、一体いかなる理由で浅野に襲われなくてはならなかったのかがいまだに謎のままなのである。
ところが、多くの人は「吉良が浅野に意地悪をした」、いわく「饗応役の接待の仕方を教えなかった、例えば、畳替えを一方の伊達家には指南し、浅野には指摘しなかった・・云々」、これすべて後世の「忠臣蔵」というお芝居からのイメージ操作を受けている可能性が大なのである。
絵図の左側に描かれている切腹後の遺体は大石内蔵助とみられ、中央で切腹しようとしている浪士は、副将の吉田忠左衛門とみられている。興味深いのは、ほかの絵と違ってリーダーの大石が脇役のように描かれ、早々と遺体となって処理されていること、また、ほかの浪士たちも罪人として隅のほうに描かれているということ。
ほかの切腹を描いた4点の絵より、最も早い時期に描かれたものというから、いわゆる「忠臣蔵」の影響を受けていない、つまり浪士たちが美化される前のごく普通の受け止めかたを描いているのではと思う。
「忠臣蔵」は日本の誇る最高のお芝居で、僕も大好きだが、史実はきちんと踏襲する姿勢は受け継いでいきたいものである。