反覇権と戦略的互恵関係を〜佐瀬教授の論文より:ホームズの対中国☆ホームズで反覇権と戦略的互恵関係を〜佐瀬教授の論文よりを解説!



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2010年11月13日

反覇権と戦略的互恵関係を〜佐瀬教授の論文より


探偵ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


菅首相が呪文のように繰り返す「戦略的互恵関係」の成り立ちを
佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授が、産経新聞「正論」で、過去の日中間の文書から明らかにしています。

過去の3つの文書とは、
 1 1972年 9月 国交正常化を謳った「共同声明」
 2 1978年 8月 日中平和友好条約
 3 1998年11月 日中共同宣言
を指し、特に日中両国が批准した2が戦後日中関係の「原
点」
であると佐瀬教授は言います。

この原点である日中平和友好条約の肝は第2条の、いわゆる
反覇権条項
と呼ばれる条項:
「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又
 は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、ま
 た、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国
 の集団による試みにも反対することを表明する


今読むと、覇権国家そのものの中国がよくこんな文言に賛同した
ものだと思うが、実は当時のソ連(現ロシア)の覇権主義に反対
を唱えていた中国のほうがこの文言を加えることに積極的で、日
本は相当苦労したのだと言います。

原点たる2の文書以外、すなわち1、3でも、この「覇権」に反
対する文言は登場するので、中国の覇権反対は決して一過性
のものではなかったのです。

その「覇権」の言葉が消えたのが
4 2008年 5月 戦略的互恵関係の包括的推進に関する日
           中共同声明
から。

佐瀬教授は菅首相に質問します。
 ○「反覇権」はどこへいったのか
 ○「反覇権」の時代は終わったのか
 ○「戦略的互恵関係」は「反覇権」を駆逐するのか
と・・・

これはぜひ菅首相から中国にも言っていただきたいものですね。

ま、中国の一連の動きを見れば、かの国が文言を変更したのは
自らに都合が良いようにしたかったからですよね。

佐瀬教授は菅首相に迫ります。
「戦略的互恵関係」の追求もいいが、それだけではいけない。
右手の「反覇権」条項、左手の「戦略的互恵関係」が併用され
なくてはいけない、と。


戦略的互恵関係を深めるという原点に戻って努力する」と、
点そのものを勘違いしている菅首相
が、中国のしたたかな外
交に完敗するのはもはや確かな事実です。



参照の論文
>
【正論】防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 中国はなぜ「反覇権」言わぬのか
                             2010.11.12

 東南アジア諸国連合(ASEAN)関連会議を機会に日中首脳会談を期待してハノイ入りした菅直人首相は、中国側の出方に翻弄(ほんろう)された。最後に「10分間懇談」が実現したことで安堵(あんど)の様子だが、こんなことに一喜一憂するよりも重要なことがある。それを書く。

 ハノイへの出発当日、菅首相は中国首相との首脳会談を、「戦略的互恵関係を深めるという原点に戻って努力する会談にしたい」と語った。菅首相よ、勘違いしてはいませんか。戦略的互恵関係という両国合意は日中関係史上の重要な一里塚の一つではあるが、「原点」では決してない。早い話、戦略的互恵関係の構築を高らかに謳(うた)った日中共同声明の発出はたかだか2年前のことでしかない。

 2008年5月のその共同声明では、前世紀に交わされた3文書、すなわち(1)国交正常化を謳った1972年9月の共同声明(2)78年8月の日中平和友好条約(3)98年11月の日中共同宣言が列挙され、3文書こそが「日中関係を安定的に発展させ、未来を切り開く政治的基礎」(いずれも傍点は筆者)だと記されている。両国が批准したのは(2)の平和友好条約のみだから戦後日中関係の「原点」を求めるなら、この条約以外にない。

 ≪ソ連帝国主義憎しで条約に≫

 同条約は前文と全5条構成の短い文書だ。だが、際立った特徴がある。反覇権条項と呼ばれる第2条の内容がそれ。いわく、「両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する」。こんな規定を盛った国家間条約は私の知る限り世界に二つとない。が、この第2条こそが日中平和友好条約の肝だったのである。

 昔話めくが、この条項の賛否をめぐり条約締結交渉は難航を極めた。難航の原因は、北京が「ソ連社会帝国主義」憎しの念に燃え、「ソ連の覇権主義に反対」の主張に日本を同調させようとしたことにあった。時の福田赳夫政権は防戦に努め、ソ連の名指しを避け、辛うじて抽象的な文言だけの反覇権条項で何とか事を収めた。それでもモスクワは猛反発、駐日ソ連大使の本国召還説が流れた。疑いもなく日中平和友好条約は戦後日本にとり最難産の条約である。難産の子を忘れるべきではない。

 反覇権の中国側執念も一過性ではなかった。そもそも3文書中の(1)の第7項ですでに、「両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」と謳われていた。さらに江沢民国家主席時代の(3)の文書においてさえ、「双方は…アジア地域における覇権はこれを求めることなく」との文言で日中は一致していた。

 ≪08声明で消え戦略的互恵に≫

 ところが、日中間4大文書の一つである2008年5月の「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」では、「反覇権」云々(うんぬん)は消えた。その時期に照らして、「反覇権」の行方不明は何やら意味深長である。今度は、「戦略的互恵関係」の称揚が流行となった。その流れで、菅首相も今回の3日間に及んだハノイ滞在中、「戦略的互恵関係」の意義を説かぬ日はなかった。

 そこで菅首相に再度、訊(たず)ねる。その一、「反覇権」は行方不明でいいのですか。その二、「反覇権」の時代は終わったのですか。その三、「戦略的互恵関係」が「反覇権」を駆逐するのですか。

 中国の近年の軍事力と経済力を背にしての海洋進出、大陸南方部への勢力拡大に照らして、かつての「反覇権」勧進元だった北京自身が今や、アジア・太平洋地域において覇権追求へと転進しつつある気配濃厚と私は判断する。だから、中国がなぜ「反覇権」を言わなくなったかよく理解できる。

 ≪惑わされて不問に付すまじ≫

 問題は、日中関係史の「原点」で「反覇権」を謳った日本が今日の状況を黙認してよいか、である。尖閣事件で黒を白と言いくるめる北京を見て、日本国民の圧倒的多数は私の判断に賛同するだろう。いや、ハノイに参集した諸国の−中国以外の−代表たちも、本心では北京の覇権追求気配を懸念しているのは間違いない。

 中国は49年の建国以来、徹頭徹尾、排他的に自国の利益を追求してきた。対外協調的と見えるときでさえ、そうだった。私はそれを畏敬(いけい)の念をもって眺める。しかし、菅首相には言わなければならない。中国との「戦略的互恵関係」の追求もいいでしょう。が、それだけではいけない。

 32年前の日中平和友好条約に苦しみながら盛り込んだ「反覇権」条項の現代的活用が必要だ。右手の「反覇権」条項、左手の「戦略的互恵関係」が併用されなければなるまい。後者に実際措置が不可欠であるのと同様、前者にも実際措置が欠かせない。今はそれを構築するときである。自力で、そして同盟国、同憂国と語らって。(させ まさもり)
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この記事へのコメント

1. Posted by 長澤まさみ ?ぐ   2013年07月07日 17:39
読み終わった後にメンが悶々としそうなのはどのメンの読む本? 書店員『カバーしますか?』

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