2010年11月29日
仙石氏の弁解 朝日新聞の本音
探偵ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
ネットをいろいろ閲覧していると、「自衛隊は暴力装置」と聞いて「当然のこと」とか、それをことさら騒ぐ「保守派」が幼稚だとか、いろいろ戯言を言う人たちもけっこういるんだというのが実感。当の仙石氏本人は、自らの「失言」に対してこのような弁解をしています。
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「失言と言っても、無通告の質問(への答弁)が多い。細かいところの無通告質問は大変だ」。仙谷由人官房長官は19日の記者会見で、菅内閣の閣僚の国会答弁での失言が相次いでいるのは、野党側が事前に質問内容を知らせる「通告」が少ないことにも原因があると反論した。
だが、無通告の質問は民主党も野党時代、政府側の答弁者を追及する手段として、しばしば用いてきた。この点を記者団から問われると、仙谷氏は「それはそれで仕方ないが、後で調べて回答するということもないと、具体的なところまで的確に答えるのは難しい」とトーンダウン。「森羅万象すべて細かいところまで資料を用意したり、頭に入ったりしていない」と、理解を求めた。
仙谷氏本人は18日の参院予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊」と発言。直後に発言を撤回し、「不適当だった」と謝罪している。 (朝日19日)
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で、この「暴力装置」発言は、どういう経緯で発せられたか
というと、
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仙谷氏は自衛隊と他の公務員との政治的中立性の違いについて「暴力装置でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロール(文民統制)も利かないとならない」と発言。委員会室が騒然となったため答弁中に「実力組織と訂正させていただく」と言い換えた。(毎日18日)
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「自衛隊と他の公務員との政治的中立性の違い」を、「無通告」で質問したから、こんな失言を生むのだ、と言いたいのだろうか。例えば無通告でいきなり、自衛隊法○○条○項について答えろ、などと質問されたら即答できないのもやむをえないと思いますが、この程度の質問にも失言をしてしまうところに、現行政府の呆れた実態があるわけです。
また、自衛隊(という軍隊)の本質を説明するのには、この「暴力装置」という言葉が入って当然と、したり顔で言う人もいます。
すると、仮に共産党のことを「暴力組織的体質のある共産党は・・」と偉い自民党あたりの議員さんが発言し、「共産党の体質を表現するためには当たり前のい言い方」と「保守」の人々がすましこんでいてもいいわけだ。でも絶対、そんなことがあれば、真っ先に顔を赤くして激怒するのは、きっと「自衛隊は暴力装置」は当然ときめっこしている人たちなんだろうな。
さて、話を戻して、仙石発言をもう一度読んでみると、この「暴力装置」という言葉はまったく不要だと思います。(「軍事組織」という言葉の中にすでに、そうした面があることは自明でしょう。)だから、この「暴力装置」という言葉は、この人が普段思っている思想が、はからずも飛び出してしまった、自衛隊と聞いたら条件反射的に出てしまった、というのが、正直なところだと思いますね。こういう人は「学者」や「弁護士」をそのまま続ければよろしいのです。
緊急を要する際、こうした思想にしばられて自衛隊の出動命令が遅れたらどうする?と多くの国民は思うわけです。政権の中枢にいる政治家として完璧に不適格です。
また、こうした発言を聞いた自衛官の言葉を掲載した産経新聞の記事を「情緒的」だと非難する人もいますが、この発言が「士気」にどれくらい影響するのかを知るためにもタイムリーな記事であると僕は思います。そもそも「情緒的」な記事を乱発して、国益を内から失わせるのに精力を費やしている新聞は「朝日」「毎日」が圧倒的なのですがね。(靖国、慰安婦など)特に、煙のないところに煙どころか火事を起す名人は朝日新聞です。それも誤報、虚報が多く、後で違うと動かぬ証拠を突きつけられても、なぜか紙面では争わず、裁判に持ち込み、読者の目くらましを優先的に行います。発行部数に影響するからなのでしょうが、言論機関としては情けない限りです。
さて、朝日新聞の27日付け社説。
「問責決議も、旧態依然の抵抗戦術と見ざるを得ない。ビデオの問題を、主要閣僚の進退に直結させるのは短絡だろう。官房長官の立場で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶのを適切とは言わないが、謝罪すれば済む話ではないか。」
・・・ひやぁ〜、こんな思いやりに満ちた社説、麻生内閣のときは絶対無かったけどね。まぁ「政府はたがを締め直し」とあるから、いまだ菅政権を応援しているってことは確かだろう。
しかし、いったい世論調査で示された国民の声をどう分析しているのだろう、そもそもこの社説から察するに、「大局を見据えた議論」には「集団的自衛権」「周辺事態法」「憲法改正」まで視野に入れての議論を容認しているわけでは、とうていないらしい。大局といいつつ、従前の狭い範囲での行動しか描けない、旧態依然の朝日の姿勢がみえみえである。
記事の結びには大嫌いな小泉元首相が引用した言葉さえ紹介する。「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」・・・
中国さまのご機嫌を損なわず、北朝鮮の暴走をとめるという大事のために奔走している仙石氏の失言をあげつらっているときではない、そう言いたいのだろうな。
これほど事の本質が見えていない「大」新聞もあるのだ、と改めて失笑してしまったのです。
参考記事
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朝日 社説
論戦のあり方―国会は「大事争うべし」
今年度補正予算が成立した。
あわせて、仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決された。これを機に野党が全面的な審議拒否に踏み切れば、多くの重要法案が日の目を見ずに終わる。64日間の会期で補正がほぼ唯一の「成果」となる。
成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない。
その典型が、北朝鮮による韓国領砲撃をめぐる論戦である。
衆参両院の集中審議で野党は、政府の初動の遅れをこぞって取り上げた。「非難」の表明は発生から約7時間後。迅速さを欠いた面は否めない。しかし、もっと語るべき問題がある。
北朝鮮は、民家にまで砲火を浴びせた。その国が、核も、日本を射程に収めるミサイルも保有している。
これは対岸の火事ではない。
日米韓がどう連携し、中国を引き寄せ、北朝鮮の挑発を押さえ込むか。万一南北が戦火を交える事態に至った場合、在韓邦人をどう救出するか。各国と情報を共有するため、どのような機密保全策をとるのか。朝鮮半島の平和構築の道のりをどう展望するのか。
これほどの事態に直面しても、大局を見据えた議論を深められない国会論戦には失望を禁じ得ない。
尖閣諸島沖の事件も同様だ。台頭する中国とどう向き合い、日本のかじをどう取るかよりも、ビデオの流出や公開に議論が集中したのは寂しい。
外交・安全保障のみならず、暮らしも財政も危機の中にある。足の引っ張り合いにふけっている余裕はない。
政府はたがを締め直し、自ら批判の種を振りまくのをやめて大局を論じる土俵をつき固めなければならない。
野党は政治を停滞させるのでなく、前進させるために批判してほしい。
問責決議も、旧態依然の抵抗戦術と見ざるを得ない。ビデオの問題を、主要閣僚の進退に直結させるのは短絡だろう。官房長官の立場で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶのを適切とは言わないが、謝罪すれば済む話ではないか。
問題の軽重にかかわらず問責を連発し、辞任に応じなければ審議を拒み、政府を追いつめる。そんな繰り返しの国会では、国民が損害を被る。
論戦の質を高めるには工夫もいる。砲撃のような安全保障問題では、野党は機微に触れる情報に接することができず、実のある議論が難しい場合がある。秘密会を開き、情報を共有したうえで審議することもあっていい。
小泉純一郎元首相がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」がある。権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした。しかし、昨今の国会論戦を見るにつけ思い出される警句ではある。
(平成22年11月27日)
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朝日 社説
論戦のあり方―国会は「大事争うべし」
今年度補正予算が成立した。
あわせて、仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決された。これを機に野党が全面的な審議拒否に踏み切れば、多くの重要法案が日の目を見ずに終わる。64日間の会期で補正がほぼ唯一の「成果」となる。
成果においても、審議の質の面でも、今国会の惨状は目を覆うばかりである。論ずべき重要課題は多いのに、傾聴に値する議論がほとんどない。
その典型が、北朝鮮による韓国領砲撃をめぐる論戦である。
衆参両院の集中審議で野党は、政府の初動の遅れをこぞって取り上げた。「非難」の表明は発生から約7時間後。迅速さを欠いた面は否めない。しかし、もっと語るべき問題がある。
北朝鮮は、民家にまで砲火を浴びせた。その国が、核も、日本を射程に収めるミサイルも保有している。
これは対岸の火事ではない。
日米韓がどう連携し、中国を引き寄せ、北朝鮮の挑発を押さえ込むか。万一南北が戦火を交える事態に至った場合、在韓邦人をどう救出するか。各国と情報を共有するため、どのような機密保全策をとるのか。朝鮮半島の平和構築の道のりをどう展望するのか。
これほどの事態に直面しても、大局を見据えた議論を深められない国会論戦には失望を禁じ得ない。
尖閣諸島沖の事件も同様だ。台頭する中国とどう向き合い、日本のかじをどう取るかよりも、ビデオの流出や公開に議論が集中したのは寂しい。
外交・安全保障のみならず、暮らしも財政も危機の中にある。足の引っ張り合いにふけっている余裕はない。
政府はたがを締め直し、自ら批判の種を振りまくのをやめて大局を論じる土俵をつき固めなければならない。
野党は政治を停滞させるのでなく、前進させるために批判してほしい。
問責決議も、旧態依然の抵抗戦術と見ざるを得ない。ビデオの問題を、主要閣僚の進退に直結させるのは短絡だろう。官房長官の立場で自衛隊を「暴力装置」と呼ぶのを適切とは言わないが、謝罪すれば済む話ではないか。
問題の軽重にかかわらず問責を連発し、辞任に応じなければ審議を拒み、政府を追いつめる。そんな繰り返しの国会では、国民が損害を被る。
論戦の質を高めるには工夫もいる。砲撃のような安全保障問題では、野党は機微に触れる情報に接することができず、実のある議論が難しい場合がある。秘密会を開き、情報を共有したうえで審議することもあっていい。
小泉純一郎元首相がよく引用した言葉に「大事争うべし、些事(さじ)構うべからず」がある。権力者の逃げ口上にも使われかねず、現にそう使われもした。しかし、昨今の国会論戦を見るにつけ思い出される警句ではある。
(平成22年11月27日)