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音楽フラッシュ☆ホームズ

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音楽フラッシュ☆ホームズについて新着順に記事を並べています。

音楽フラッシュ☆ホームズ

2007年02月21日
LASRAC 著作権は難しい

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


森進一の「おふくろさん」、紅白でも歌いましたが
イントロで「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした…」と入ります。これはもともとのオリジナルにはないフレーズなのですが、作詞家の川内康範氏に無許可で取り入れた、ということで問題になっている様子。お互いの言い分もあり、まだ尾を引きそうですが、当分、森は往年のこの名曲を歌うことができないようです

著作権・・・難しい問題です。創作者のオリジナル性と権利を守るには絶対必要ですが、やや行き過ぎた保護をすると、いい意味での発展も止めてしまう気もするし
・・・

僕ら普通の愛好家からすると、携帯音楽や地上デジタル録画。例えばあのコピーワンス制度くらい歯がゆいものはないです。録画やムーブに失敗するともうパァですし。そもそも個人が楽しむ範囲内で、バックアップもさせないというのはどうなのかとも思います。

JASRACこと日本音楽著作権協会。著作権を守る番人として日夜、いやみを言われようが非難バッシングを受けようが活動にいそしんでいます。

最近話題になった事件はこれです

このJASRAC の「すごさ」をパロディ化したアニメがYou Tube で人気です。
>
「スナック経営のおじいちゃんはビートルズの曲を  
 店で演奏していました → 逮捕」
「幼稚園のクリスマス演奏会で → JASRACからの  
 請求が!」
>
などといやみなユーモア全開で展開されます。
けっこう笑えますよ。
ここから

この中にも登場する作詞家・小室みつ子さん、
「お金を取ってるわけじゃない一般から徴収するの は、音楽を楽しむな、広めるなっていうようなも の。著作者がいいって言ってるんだから、ええや んか・・・
という意見の出典は、
こちらで
・・・ん? つい2〜3日前まで見られたのに・・
自己規制? JASRACの圧力?
ちなみに、小室みつ子さんはJASARCの正会員であります。

(また閲覧可能になりましたが・・・)


2006年11月02日
本田美奈子一周忌を前に

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


本田美奈子アメージンググレースのことは以前このブログでも書きました。
http://holmes.livedoor.biz/archives/cat_50028443.html
ご参照。

その本田美奈子さんが逝ってもう1年なんですね。

本来なら復帰した本多美奈子が歌うはずだった曲が、今回追悼シングルとしてリリースされました。

   wish(DVD付)

以下、メーカー/レーベルよりこの曲「WISH」の誕生秘話です。

この楽曲は、昨年春に白血病の闘病生活をおくる本田美奈子さんの「元気になったら絶対にまた歌いたい!」という強い思いを受け、本田さんのサウンドプロデュースを手掛けていた井上鑑が作曲し病床の彼女に贈ったものです。

そして本田美奈子復帰第一弾の作品として世に発表されるはずであった楽曲。

本田美奈子が闘病生活をおくっていた頃、井上鑑は福山雅治の全国ツアーにサウンドプロデューサー/プレイヤーとして参加していました。そして病床の本田美奈子さんを元気付けようと、福山雅治をはじめとするミュージシャンたち、そしてコンサートスタッフ全員に呼びかけ、コンサート会場でデモDVDを製作し本田美奈子さんに届けたのです。

「元気になったら、みんなでこの楽曲をレコーディングしよう!」という想いを込めて・・・。

その想いは叶うことなく、2005年11月6日、本田美奈子さんは他界されました。

必ず治る、そう信じて、「もう一度歌いたい」という願い(WISH)を抱きつつも星になった本田美奈子。

この曲wish(DVD付)がどうか天上まで届きますように・・・

(収益は寄付されるそうです)

関連記事は以下。

続きを読む
2006年09月11日
J.S.バッハ エピソードとお勧めのCD

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


先日のバッハの記事で、もう一人、
ブクステフーデが登場してました。

そのブクステフーデとのからみも書いてみます。
バッハが13才で写譜をしたというオルガニスト
すね。

時ながれ、バッハ20才の頃。アルンシュタットの
新教会でのオルガニストに任命されていたバッハは
400キロ離れた、リューベックのブクステフーデ
がいる聖マリア教会へ赴きます。1705年、一ヶ
月の休暇をとって、でかけたのでした。

今、目の前に実在する生の演奏を聴き、幼い頃に一
生懸命写譜した感動が鮮やかによみがえったのと同
時に、彼から大いに影響を受けたのです。休暇期間
は一ヶ月だったのに、実に
4ヶ月も滞在してしま
ったのでした。

バッハの勤務先では大変困ったでしょうね。
しかも無断で、ずるずると休暇が長引いたのですか
ら。

バッハはこの当時の、アルンシュタットでの音楽活
動、特に合唱隊の生徒の質の低さに嫌気がさしてい
たとも言われていますから、今風にいうと「出社拒
否」でしょうか。この頃のバッハ君、生活が安定し
てきたか強気です。

さて、アルンシュタットに戻ったバッハは、自分が
リューベックで取り入れた音楽技法を、教会のオル
ガン奏法に組み込んだため、激しい非難を浴び、聖
職会議で査問されるはめとなりました。
オルガン演奏に耳慣れない音を取り入れ、聴衆
を困惑させた
との理由らしいです。

バッハのただおとなしい従順なだけと思える人柄を
打ち壊すエピソードです。

この当時、ブクステフーデの影響を受けて作曲した
オルガン曲の中に「トッカータとフーガ・ニ短調
(BWV565)があります。あまりにも有名なオルガン
曲です。

    


オルガンはマリー・クレール・アラン。女性らしい
繊細な響きですよ。冒頭のあのメロディは不滅です
ね。

バッハといえば、音と音が複雑に入り込み、技巧的
であまりにも分かりづらい、などと当時でも批判さ
れたりしましたが、いわゆるイージーな耳に聞こえ
やすい音楽の前に敢然と立ちふさがり、妥協せずに
対位法という技術を完成させた偉大な音楽家です。

ま、正直言えば僕もバロックの聞きはじめはヴィ
ヴァルディで、バッハはせいぜい「
G線上のアリ
」(管弦楽組曲第3番(BWV1068)の第2曲目
「エア(アリア)」)くらいだったでしょうかね。

で、ある晩、寝ながらウォークマンで聞いていたの
ですが、ほんとに「突然」でしたね
ヴィヴァルディの「急ー緩ー急」という流れに飽き
てしまったのか、ほんとに
「突然」バッハの音楽
の「深み」のようなものに気づいたのです。
その時、聞いていたのが「ブランデンブルグ協奏曲」
第4番でした。今でも鮮明に覚えています。

それを知ってからは、ヴィヴァルディは、一部の曲
を除くとバッハの足下には及ばない気がしてしまい
ました。一度聞くと「飽き」がきやすいのかもしれ
ませんね、ヴィヴァルディの曲は。

クラッシックとの出会い、いや音楽との出会いとは
こうした相性とか、きっかけがあるみたいです。

バッハの曲より

○お得版。ブランデンブルグ協奏曲全曲に加え、
 「G線上のアリア」を含む、
管弦楽組曲第3番ニ
 長調BWV1068の一部、
管弦楽組曲第2番ロ短調
 BWV1067全曲が入ります。演奏は定評のあるネ
 ビル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団
 です 

   


○バッハのシャコンヌ(パルティータ第2番
 ニ短調 BWV1004 シャコンヌ
)を聞いたとき
 は「奇跡」だと思った。ヴァイオリン一つで、
 あんなに奥の深い世界を構築できる音楽家は、
 やはり、バッハしかいないだろうな。それだけに
 演奏家も選ぶ作曲家ですね。これはギドン・クレ
 ーメルの、無伴奏ソナタ・パルティータの全曲演
 奏版です。

   


2006年07月13日
ヴィヴァルディの最高傑作

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・

おくればせながらサッカーワールドカップ、イタ
リア優勝おめでとうございます!!
せっかくのスポーツの祭典が北のミサイル発射とい
うニュースで汚されてしまったのが残念です。

無粋な話題が続きましたので、また軽く音楽のこと
を書きます。先日の続きです。


ヴィヴァルディ協奏曲集より「四季」を紹介を
しましたが、もう少しヴィヴァルディの事を書きま
すね。

ヴィヴァルディのお父さんは理髪業だたんですよ。
意外ですね。その当時は今みたいに待っているお客さ
んのために雑誌やマンガなどなくて、代わりに、いろ
いろな楽器が置かれていたと言います。待ってる暇つ
ぶしに、楽器を弾いていたわけ。
すると、お父さん、その中のバイオリンにいたく興
味を持ちまして、お客さんの弾いている演奏の様子を
見よう見まねでやっているうち、相当な腕前になった
んですって。

なんと、理髪店からその後バイオリニストとして生計
をたてるようになったというから大したものです。

アントニオはその第一子。彼も父親の影響でバイオリ
の技術に長けていたということですね。

 ヴィヴァルディ肖像

 

 

 

 

 

 

でも彼の経歴もけっこう興味深いですよ。

バイオリニストの父同様、ものごころついてからづっ
と職業音楽家なのかと思いきや15才で、彼は僧籍に
入ります。えぇ、キリスト教の坊さんになるんですよ。
25才で司祭になります。でも、音楽をすっぱりやめた
のではなく、その間もしっかり音楽について勉強してい
る記録があります。
普通こんなどっちつかずだと両方うまくいかないのです
がヴィヴァルディの場合、全盛期は両立したんですね。

ミサをあげない司祭」、これはヴィヴァルディにつけ
られたあだ名のひとつ。ミサの説教中、楽想が沸くと降
壇してミサをたびたび中止したので、ミサをあげるのを
禁じられたという説話からのものです。ただ本当かどう
かは疑わしいのですが。

ヴィヴァルディは、当時病院の中にあった、孤児院の
イオリン教師
として採用されます。孤児院といっても
あなどるなかれ。この子供達の中で、特に音楽的才能の
ある子供達には、本格的に声楽器楽が教えられるよ
うになり、定期演奏会も催すにいたります。ヴィヴァ
ルディが教えていた「オスペダレ・デラ・ピエタ
はその中の最も優秀な演奏を行い、市の名物とさえなっ
たと記録されてるんですね。

昨日の「四季」も、この定期演奏会用に作曲されたもの
のひとつです。

さて、ヴィヴァルディといえば、「四季」なのですが、
音楽的にみると、もっともっと内容の深い名曲があります。


それがこれ、「協奏曲作品3調和の霊感(幻想)」。


    ヴィヴァルディ:協奏曲集op.3「調和の幻想」(全12曲)

これはねー、はっきり言って名盤です。僕は彼の作品中
一番優れていると思いますし、これが大好きですね。

1曲が「急―緩―急」の3楽章形式を確立した作品
で、第1番が4つのバイオリンのための協奏曲、2番が
2つのためのバイオリン協奏曲、3番が独奏(ソロ)バ
イオリン協奏曲とと順に12番まで並び、さらに1番が
長調(メイジャー)なら次が短調(マイナー)と曲調を
変えて飽きさせない工夫がみられます。

6番はバイオリンのレッスンでは多くの人が練習する
曲でそうではなくても一度は聞いたことがある曲です、
多分。

さらにすごいのは、「音楽の父」ヨハン・セバスチャ
ン・バッハ
がこの中の第3番、第9番、第12番をチェン
バロ独奏用(BWV978、972、976)に、第8番、第11番を
オルガン独奏用(BWV593、596)に、第10番を4台のチェ
ンバロと弦楽合奏のため(BWV1065)に編曲していると
いう事実です。

とりたてて、この10番は、ヴィヴァルディ版、バッハ
版ともに深い感動を与える名曲ですよ。4台のバイオリ
ン(チェンバロ)が互いに会話するように弾いているの
がなんとも素晴らしい!

以前は、この2人の聞き比べの「合作集」がレコードで
でていたのですが、CDに移行されたのかな。ぜひ買い
たいものです。

この曲集を聴いて初めて、ヴィヴァルディの素晴らしさ
が分かりました。自信を持って推薦いたします。


  ヴィヴァルディ:協奏曲集op.3「調和の幻想」(全12曲)

 ヴィヴァルディ協奏曲集作品3「調和の幻想」

演奏は定番、イ・ムジチです。

 


 


2006年07月10日
音楽は・・・モーツアルト、その夫人の写真

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは音楽いきます・・・


北朝鮮のミサイル発射、それになぜか甘い応対の
中、韓、露のわが国周辺諸国。

国内を見ても、親子での殺害事件、放火・・・

世紀末のような光景ですな、ほんと。

そんな時ですから、気持ちだけでも明るく持ちた
いものです。そんなときは音楽に限ります。

さて、この写真誰が写っていると思いますか。

 コンスタンツェ写真

こんな、外国人しらねー


ごもっとも。
僕も初めて写真拝見しまし
た。




実は、生誕250年を迎え、時の人モーツアルト
の奥さん、コンスタンツェその人なのだそうです。

ニュース記事はこちらです。

>
モ−ツァルトの未亡人の写真を発見=ドイツ

【ベルリン6日】オーストリアの偉大な作曲家モーツァ
 ルトの未亡人のコンスタンツェが、生涯にたった一
 度だけ撮影された写真が、ドイツ南部のアルトエッ
 ティングの公文書館で発見された。

 この写真は、コンスタンツェが78歳の1840年10月に、
 スイス人の作曲家マックス・ケラーの自宅で撮影さ
 れたもので、長い間、行方が分からなくなっていた。
 同公文書館によると、コンスタンツェが写真に撮ら
 れたのは生涯でこの1度だけ。発見された写真はオリ
 ジナルではなく、19世紀後半に複写されたもので、
 綿密な調査の結果、本物と確認された。
 
 コンスタンツェは1791年にモーツァルトが死去し
 たときまだ29歳の若さだった。その後、デンマーク
 の外交官と再婚し、アルトエッティングのケラー家
 をよく訪れていた。コンスタンツェは1842年に亡く
 なった。
             (時事通信) - 7月7日
>

ただ一枚の写真だったんだー。
1842年死去だから80歳。

コンスタンツェというと、とかく経済観念のない人で、
それがゆえに
モーツアルトはやたら借金しまくった
という話
が残っています。「成功する夫には悪妻がい
る」などといわれたりしますが、その際のたとえによ
く顔をだす女性です。

外交官と再婚されてたのですか。
音楽家の夫よりは定期の収入は安定していたのかもし
れません。もっとも、モーツアルト自体が金銭感覚に
疎い人のようなので、彼女一人を責めるのは酷ですね。

 

では、ここで音楽を一曲。

モーツアルトと思うでしょう? それが違うんです。

今日勧めるのは、モーツアルト以前、「バロック」か
らの曲です。誰もが知っているあの音楽、
そうアントニオ・ヴィヴァルディの「四季」、
これは正式には『和声と創意への試み』作品8という
彼の協奏曲集(12曲)のなかから、
その1番〜4番
が特に「四季」というタイトルをつけられ、それ自体が
独立
した曲集になってしまったんです。

日本人が特にこのを好むのは、覚えやすい旋律はもち
ろん、四季というなじみの深いテーマで、しかもそれぞ
れの季節に短いソネットが添えられていて、イメージ喚
起しやすいからだと思います。

有名な「春」の出だしも良いですが、僕は物憂い夏、
雷雨が襲うシーン、それと秋の収穫を祝う楽しい
メロディ、特別に日本語訳もつけられるくらい人気の
ある「冬」の2楽章あたりが大好きです。

演奏は「イ・ムジチ」に始まり「イ・ムジチ」に
終わるのではないでしょうか。

で、これが本日一押しのCDです。

  
イ・ムジチ合奏団/ヴィヴァルディ:協奏曲集〈四季〉

ヴァイオリンが初代のコンサートマスター、
フェリックス・アーヨ  まさに絶品であります。

サッカーもイタリア代表が頑張りましたし、イタリア
ヴエネチア
生まれのこの音楽で、しばし浮世を忘れ、
学生時代の音楽の時間を懐かしんでみてはいかがで
しょうか。


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