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音楽フラッシュ ☆ ホームズ

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音楽フラッシュ ☆ ホームズ

2006年12月28日
ベートーヴェンの第九をCDで聴く

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


第九のことをいろいろ調べたり、書いたりしていたらやはり聞きたくなってきました。

第九は名曲ですので、あまりクラシックはなぁと言う方も、ぜひ1枚CDをお持ちになられてはいかがでしょうか。(合唱に参加するのが一番でしょうが・・・;;(^o^);;)

  ■   ■   ■   ■

音楽的な内容が一番深いといわれる第1楽章。
我々の前にたちはだかる運命の主題。

その運命の主題を一時的に忘れさせてくれる第2楽章のスケルツォ。

そして美しい、実に美しい第3楽章の変奏曲。

乱れた和音で始まる第4楽章

・・・「われわれが求めている音とは何だ!」と絶叫しているようです。そしてそれに答えるかのように第1楽章の導入部が再現、しかしこれを低弦が断固拒否、続いて第2楽章も拒否、あの美しい 第3楽章のテーマにはついつい負けそうになるものの、不屈のベートーヴェンはこの響きにもNOと言わせます。そしてあの誰もが口ずさむ「歓喜の歌」の主題が登場、今まで拒否してきた低弦が まるで別の生き物のように、これを受け入れ、やがて全ての管弦楽がこの主題を響かせていくのです。ここの出だしはホントに感動ものです。

バリトン独唱が「われわれが求めているのはこんな音楽ではない」とうたうのは、初めの低弦の拒否のことですね。そしてやがて、他のソリストと合唱が参加し大合唱を奏でていきますが、音楽はとにかくただひたすら、神の前に突き進んでいくが如く上昇し続けます。

  ■   ■   ■

CDはとにかくものすごい種類の第九がありますので、まずはお好きな演奏家のをどうぞ。

ただし、ベートーヴェンの音楽、とくにこの第九は
人間がさまざまな運命や誘惑を断ち、ただ神の前に立ち返らんという魂の楽曲ですから、カラヤンのような表面的な演奏は向かないかもしれません。

その意味では、今の最新式の音に慣れている耳には
やや古く響くかもしれませんが、フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団の第九は、鳥肌が立つ名演です。最後の第4楽章のエンディングといったら、まるでベートーヴェンが乗り移ったかのように、オケが追いつけないのも気にすることなく、しゃにむに突き進みます。これを聞いてしまうと、他の演奏が実に生ぬるい気がしてしまうのは困ったものですが、ここにベートーヴェンの叫びが凝縮されているように感じてなりません。

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
2006年12月27日
ベートーヴェンの第九が響くまでに

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


ベートーヴェン自身が指揮した第九の世界初演のことは以前も書きました。1824年5月7日のことでした。この演奏会は大好評だったわけですが、同じウィーンにて、同年5月23日再演されました。
しかし、このときは大失敗。半分も埋まらなかったといいます。失敗の原因にはいろいろな話が伝わっていますが、最大の原因は第九自体にあったというのが一般的です。

  ▽   ▽   ▽

第一楽章から三楽章まで器楽曲でいって、第四楽章で合唱になるわけですが、僕たちはごく普通にみえるこの流れが、当時は不評だったようです。誰あろう、ベートーヴェン自身が終楽章で失敗したことを認め、あの楽章の代わりに器楽のみの楽章を作るつもりだと、弟子のチェルニーに語ったということです。

しかし失敗はほかにもありました。精緻に書かれているように思われる1〜3楽章。ベートーヴェンは
オーケストレーションがあまり上手ではなかったようで、しばしば旋律の流れが途切れてしまったのですね。

 ▽   ▽   ▽   ▽

第九は5月23日の失敗演奏会のあと、翌年(1825)にロンドンでイギリス初演されますが、あえなく失敗。さらに翌年、ライプツィッヒのゲバントハウス演奏会で演奏されますが、第九が成功したという記事はみあたらず、ベルリンでもダメ・・
というわけで、ベートーヴェン最後の交響曲は「謎の名曲」として、しばし敬遠(つまり演奏しませんよ〜ということ)されることとあいなりました。

  ▼    ▼    ▼

ここで一人の男登場。名をフランソワ=アントアヌ・アブネックといいます。所はパリ、パリ音楽院、
彼はここのヴァイオリン科出身の指揮者で、実に3年近くかけて、各パートをヴァイオリンで弾き、それぞれの旋律をたどったといいます。そしてこの流れを中断させないように指揮をしたのです。
時は1831年、3月27日。ベートーヴェンの死後4年という事になりますが、ここでようやく僕たちは、今聞き知っている第九の原型を聞くこととなったのです。

続いてもう一人の男登場、大物です。かのリヒャルト・ワーグナー。彼はアブネックが再現した第九を聞き、原譜のオーケストレーションの不備をだいたんに補強、つまりベートーヴェンが考えていたであろう旋律に聞こえるように手を加えていきました。
7年かかったといいます。
   ▼    ▼    ▼
そして1846年4月5日、ドレスデンでのワーグナー指揮で、第九はとうとう大成功をおさめたのでした。世界初演から22年が経過していました。

ワーグナーの「第九」は弟子のハンス・フォン・ビューローによりさらに補強され、その後も各指揮者によってさまざまな解釈がなされていったということです。

・  ・  ・

ん〜、僕たちが年末に楽しんでいる第九の響きが生まれるまでには実に長い月日がかかっていたのですね。

(参照 「音楽史ウソのようなホントの話」
               武川寛海 著)


2006年12月26日
ベートーヴェンの第九のことなど

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


ベートーヴェンといえば日本人のお気に入り作曲家
No.1候補ですね。「ジャジャジャジャーン!」の交響曲第五番「運命」といったら知らない人を捜すのさえ難しいかもしれません。

そして、年末は、ここ日本で、ベートーヴェンが一番登場する月です。そう、あの第九交響曲「合唱つき」で。

でもなんで第九は12月なのか・・・

ついこのあいだまで、僕は、第九の日本での初演
(全曲演奏)は、大正13年(1925)の
11/29、30日、場所は現東京芸大奏楽堂、指揮者がドイツ人のグスターフ・クローンと書物から教えられていましたが、今年6月に公開された「バルトの楽園」で、実はもっと早くに初演されていたことを知りました。

それによれば、大正7年(1918)6月1日、徳島県坂東俘虜収容所においてだったのですね。

・・・

でも、どちらも12月ではないですね。

ではそもそもの、第九の世界初演が12月だったのか?

実はこれもはずれ。第九の世界初演は1824年5月7日、ベートーヴェンその人を指揮者に迎えて行われました。場所はウィーンのケルントナートール劇場。

聴衆の拍手喝さいを、耳の聞こえないベートーヴェンが気づかず、アルトの歌手が手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて成功を知ったという話として今に伝わる、伝説の演奏会であります。

大成功を収めたということです。

しかし12月とは無縁です。では、その後演奏の機会に恵まれなかった第九を今のように広めた復活公演と関係しているのか・・・

これは1846年ドレスデンでワーグナーにより演奏されたのですが・・・4月5日となっています!

う〜む・・では日本で大正7年、13年に次いで演奏されたのはいつか。

これは、昭和2年。なんか元号が変わったので、随分と時代がとんだように思えるかもしれませんが、西暦に直すと1927年。前回からたった2年後です。ベートーヴェン没後100年を記念して、朝日新聞主催、朝日講堂において新交響楽団(これは今のN響です)により演奏されたのでした。合唱は日本音楽学校、指揮ヨーゼフ・ケーニヒ。この日が年末だったのかー!!

いいえ、5月3日でした。(ガクッ)

結局戦後あたりから12月の演奏が増えてきたと言います。いろいろな方が推測されていますが、まず
常に貧乏な楽団員たちに、暮れのボーナスをやるため、客席が埋まりやすい人気曲をあてたこと、その人気曲の中でも、ベートーヴェンというネームバリューと、新年を「喜び」とともに迎えたいという日本人の感性が合致したことなどがあてはまりそうです。
それに、第九はプロ、アマ関係なく演奏できるのですが、合唱の成果を一年かけて披露するのにふさわしいというのもあるのではないでしょうか。

今年も第九に耳を傾ける季節となります。

 


2006年09月24日
かぐや姫 つま恋で復活

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


つま恋、盛り上がったようです。
>
31年ぶりの「つま恋」、団塊3万5千人が集う

静岡県掛川市のヤマハリゾート「つま恋」で、31年
前に吉田拓郎さんと「かぐや姫」が開いた“伝説の野
外コンサート”が23日、再現された。
「団塊の世代」を中心にした3万5000人が8時間
にわたってともに歌い、踊った。
 伝説のコンサートは、1975年8月2日夕から3日
早朝まで行われ、約5万人の若者が大合唱した。
 吉田さんらが意気投合して実現した再現コンサート
は、午後1時過ぎに開演。「旧友再会フォーエバー
ヤング」を歌いながらステージへ上がった吉田さんが、
「緊張もほぐれ、自宅にいる気分だ」と語ると、総立ち
のファンから大きな歓声が。かぐや姫の「なごり雪」
には、目頭を押さえながら口ずさむ人もいた。

              (読売新聞) - 9月23日
>

かぐや姫は解散後、南こうせつがソロに、伊勢正三が
「風」、パンダさんは「パンダフルハウス」を結成。
それぞれの道を歩むわけですが、数年後に、ひと時の
時間、再結成して、各地でコンサートをしました。
そのとき、装いも新たに発表されたのが、
「かぐや姫 today」というアルバム。

   


かぐや姫時代のを聞いて、このアルバムを聞くと、も
う音楽的には、別物という印象を受けたかな。
「かぐや姫」というグループより、やはり当時のそれ
ぞれの独立した個人のアーティストが3人いる、とい
うイメージで、それはそれで楽しめるアルバムです。
音楽的なセンスはさらにそれぞれが磨かれていますし、
いい曲が集まってますよ!
いくつかご紹介しますね。

「 遥かなる想い」

:もう遠い青春の憧れなんて、忘れてたはずなのに、
 ふと立ち止まり、今の自分を見つめなおす。
 老け込むなんてまだまだじゃないか、あの日のよう
 に旅にでかけようよ!!

「はじける汗と風のにおいが旅へと誘うから、ぼくら
 の靴はいつも半分すりきれているだろう。
 愛したあの人は今、どこにいるのだろう。
 いつか君を迎えに行こう、約束はできないけど。」

「わかれ道」「湘南・夏」

:正やんのこの2曲は明らかに「風」としての伊勢正
 三です。かっこよすぎ。いい曲だけどね。

「おはようおやすみ日曜日」

:パンダの曲はあいかわらずほっとさせられます。
 でも曲調はやはり、フォークから「ニューミュージ
 ック」と呼ばれるものに変わったかな。

「おまえが大きくなった時」

:これはこうせつの、というよりジャパニーズポップ
 スの名曲といって過言ではないと思います。
 こうせつの絶唱が聞けますよ。

 ▼   ▼   ▼   ▼   ▼   ▼

「かぐや姫」解散後ソロになった南こうせつのアルバ
ムもいいものが多いです。 
「旅立つ想い」「粉雪」「さよならの街」
「僕のグラフィティー」
など今の時代でも支持さ
れそうな曲だと思います。

「全曲集」に大体は納められていますので、これ1枚持
っているとソロになってからのこうせつの名曲はだいた
いカバーできるのではないでしょうか。
(願わくば、「出発(たびだち)」「私の詩」
 「かえり道」「花一文目」あたりも入れておいてほし
 かったかな。)

    


2006年09月21日
つま恋 かぐや姫が歌う!

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


NHKのBSでよく「なつかしのフォーク大全集」
とかをやると、つい見てしまいます。;^ 。^;

昔、といっても大学の頃、友人のひとりがアコース
ティックギターでよく古いフォークの曲をコピーし
て歌ってくれて、すっかり気に入ってしまいました。

チューリップ、吉田拓郎、井上陽水、小椋佳、
アリス、風、さだまさし・・・

でも当時一番のお気に入りは「かぐや姫」でした。

そうそう、四畳半ソングなどともいわれましたが、
みみしいといえばみみしい、でもなんか温もりや懐
かしさを誘うグループです。

何といっても最大のヒットは「神田川」。僕も初め
の出会いはこの曲だったし、いまだに忘れえぬ名曲
ですよね。
でも、興味をもってから、彼らのアルバムを聞くと、
かぐや姫の曲はどれも味があり、名曲ぞろいだとい
うことに気づきます。
一部ご紹介。

「22才の別れ」
:後の「風」のデビューシングルでも使われたこの
 名曲は、正やん(伊勢正三)がかぐや姫時代に書
 いて歌ってたんですよ。イルカの「なごり雪」も
 しかり。

「僕の胸でおやすみ」
:これもパンダ(山田パンダ)が、後に「パンダフ
 ルハウス」で歌いましたが、かぐや姫で作られた
 作品。出だしのイントロ部分はギターで弾くとか
 っこいいんだなぁ。

「妹」「赤ちょうちん」
:映画も作られましたね、確か。
 「明日おまえが出て行く前に、あの味噌汁の作り
  方をかいていけ。」(妹)
 「あなたと別れた寒い夜、公衆電話の箱の中、膝
  をかかえて泣きました。生きてることは、ただ
  それだけで悲しいことだと知りました。」
 (赤ちょうちん)

「あの人の手紙」
:これって歌詞を読むと反戦歌なんだね。幽霊にな
 って恋人に合いに帰ってくるというシチュエーシ
 ョンは普通に考えるとグロテスクだったり、非科
 学的だったりするけど、そう感じさせない、こう
 せつの魂のようなものが歌声に感じられる。

「加茂の流れに」
:この曲が南こうせつ高校時代の時の曲と聞いてび
 っくりしたのを覚えてます。京都の魅力を、情感
 たっぷりに歌うこの曲はかぐや姫の中の佳曲です。

「雪が降る日に」
:幻想的でロマンティックな名曲。友達とハモルと
 いい感じです。バックで「雪やこんこ、あられや
 こんこ」とだぶってるんですよ。正やんの高音が
 素晴らしい。
そのほか、「田中君じやないか」「
僕は何をやって
もだめな男です
」などのほのぼのお笑い路線、ビー
トルズを意識した(?)「アビーロードの街」「

色い舟
」(イエローサブマリンを意識?)、人生の
奥深さを感じさせる「けれど生きている」などなど
まさに充実した曲の数々です。

 〜  〜  〜  〜  〜  〜

夏前だったか、さんまの番組に「かぐや姫」の三人
が出演していて、正やん、こうせつが手持ちのギタ
ーで、短いフレーズを歌ったりしてたんですが、実
によかった。変なオーケステレーティングがなくて
まさに、ギター一本のフォークが聞けたという感じ
でした。

今度の9月23日、拓郎&かぐや姫のつま恋コンサ
ートがありますね。
31年ぶりの伝説のコンサート
復活とのことです。運良くチケットがとれた方、ど
うかお気をつけていってらっしゃい。

このアルバムにかぐや姫のすべてが凝縮されてます!

      

1stアルバム たくろうも参加してる記念碑的作品

      

ライブの興奮と愉快なこうせつのトークも満載。
「LIVE」はコストパフォーマンス高い作品
ずらりですよ。

  
        

他、こちらも忘れられない作品がずらり!

  
   


2006年09月05日
J.S.バッハ

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・


8月31日の朝日新聞に次のような記事が掲載さ
れました。
>
バッハ少年時代の楽譜発見 直筆で最古

財団が所有する世界遺産のアンナ・アマリア図書館
が04年に火事にあい、焼け残った蔵書を調査する
なかで二つの楽譜が見つかった。バッハ作品を総合
的に研究するバッハ史料館(独ライプチヒ)が筆跡
やインクなどから鑑定した。
最古の楽譜はバッハが13歳ごろ、当時北ドイツ地
方で活躍していたブクステフーデのオルガン曲を筆
写したもの。もう一つは、ラインケンのオルガン曲
で、15歳の時に写譜した。これまでは1704年
の19歳ごろの作品が最も古い直筆楽譜とされてい
た。
少年期のバッハは北部リューネブルクなどに住み、
両親を亡くし雑役などで生計を立てていた。同史料
館は「若きバッハの修業時代を知る上で貴重だ。
丁寧な筆致で貧しくても熱心だった様子がうかがえ
る」としている。

   バッハ写譜

>

ここで注釈。

○ブクステフーデ (1637頃〜1707)
:デンマーク生まれの作曲家・オルガニスト。
1668年、リューベック・聖マリア教会の音楽監
督・オルガニストに就任。以後40年近くにわたっ
てオルガニストとして活躍した。
 
○ラインケン   (1623〜1722)
:オランダ生まれのオルガニスト。1663年、
ハンブルク・カタリナ教会のオルガニストとなる。
80歳になるまでそこで主席オルガニストを務め、
100歳ちかくまで生きた。演奏技巧は素晴らしく
コンサートオルガニストとして活躍。

* ヨハン・セバスチャン・バッハ
  (1685〜1750)

「バッハは両親の末っ子、第8子として生まれ、7
才の時には教会のラテン語学校に入学するとともに、
ボーイソプラノとして教会で歌うようになりました。
10歳の時、両親を亡くし(母は9歳の時)14才
年上のヨハン・クリストフ宅へ居候の身となります。
この兄からはクラヴィーアの手ほどきを受けるなど、
世話になったバッハは、後年クラヴィーア曲「《カ
プリッチョ ホ長調》『ヨハン・クリストフ・バッ
ハを賛えて』」(BWV993)を書いています。
15歳の時、この兄に3人目の子供ができることも
あり、リューネブルクの聖ミカエル教会が給付付き
の合唱団員を募集していたので、これに応募するこ
とになるのです。」

13才と15才の頃というと、ちょうどこの時期
いうことですね。特に15歳の時に写譜したライケ
ンのところへは、翌16歳の時に、ハンブルクまで
徒歩で演奏会を聞きに行ったと記録があります。
リューネブルクからは北に45キロほどで、数回足
を運んだようです。

その中の出来事。ハンブルクから帰途についたバッ
ハ、手持ちの金はほとんど底をついて食事もできぬ
有様。育ち盛りの空腹は、もう我慢できぬほど彼の
胃袋を痛めつけます。ある宿屋の前に来たとき、中
からは食欲を更に刺激するにおいが。そのとき、大
きな音をたてて、窓が開き、ニシンの頭がドサドサ
とゴミ箱に捨てられました。思わず、ゴミ箱に手を
突っ込んだバッハ。しかしこの時、このニシンの口
の中に、あり得ないものを見つけます。

なんと、デンマークのドゥカーテン金貨をくわえて
いたのでした。しかも捨てられた数匹のニシンの口
すべてに。
バッハはそれを手に、宿屋に入って食事をし、飢え
を満たしたばかりでなく、次回のライケンの演奏会
費用までもゲットしたということです。

この時、貧乏学生のバッハに金を恵んだのが、金の
処理に困って、金を処分しなくてはいけなくなった
時空を越えた岐阜県庁の人たちでした。

・・・うそ、うそ、ははは・・・(汗)

これは「楽聖たちの伝説集」からです。
実際には、この貧乏学生に金を恵んだ人の正体は不
明です。


この20年後、バッハはケーテンの宮廷楽長をして
いますが、ハンブルクの聖ヤコビ教会のオルガニス
トの就職試験を受けに、ふたたびハンブルクを訪れ
ます。なんとなんと、その時の試験官の一人にこの
ライケンがいたのです。
この時ライケン97才!!

ライケンはバッハの演奏を聴いて絶賛したといいま
す。両親を亡くし、金銭的に恵まれなかった15才
の時、偉大なオルガニストの写譜をしていた
バッハ
の目はきっと輝いていたでしょうね。
それから20年、勤勉なバッハはついに若き日のあ
こがれのオルガニストから認められたのです。


久しぶりに、バッハが聞きたくなりましたね〜。


2006年04月22日
iriverHDDプレイヤーも買おうかな

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・

昨日は音楽配信のことを書きました。
今日は僕のお気に入りを紹介してみます。

お気に入りのmp3プレーヤーです。
iriver(アイリバー)のifp-800。
秋葉原で購入してもう、1年以上たちますが
不満なしです。

初めはipdも購入選択肢に入ってましたが、
バッテリー交換がショップ依頼で、
けっこう値が張るらしいのと、
音質はアイリバーのほうが優れているとの
さまざまなリサーチ情報をとに決めました。

1Gなので、日常生活にはストレスなし。
単三アルカリ電池1本で、驚くほど連続再生可能です。
(メーカー発表は40時間。でもづーっと連続で
40時間は聞きませんからね。)
フラッシュメモリ対応、FMも聞けてしまう。
手放せないアイテムです。
今度はHDDタイプの
iriverHDDプレーヤーも検討してみよう!

アイリバー


2006年04月21日
音楽配信とCD

ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・

日本レコード協会は17日、
2005年度の音楽ソフトの生産額が4,313億円となり、 7年ぶり
に前年を上回ったと発表しました。
(詳細は
ここ)で、ちょっと気に入らないのはこの点。

>生産実績が上向いた理由について、
2005年8月に日本でサービスを開始した「iTunes Music Store」や、
携帯電話向けなどの音楽配信サービスの好調が、
CDや音楽DVDなど音楽のパッケージソフトにも
好影響を与えているのではないかと分析している。
また、生産実績は2005年度下半期から上向いており、
>今後ともこの傾向は続くのではないかとしている。

ちょっとちょっと、レコ協さん、
僕の記憶では、なんか以前に言ってたのと
発言の趣旨が違うのでは、と思っているのですが・・

以前は「音楽配信」こそがCD販売の妨げ、
ユーザーたちは、著作権法違反の行為にも
あたるとして、あの、
忌まわしいCCCD(コピーコントロールCD)を
発売したり、それでも音楽配信やiPODの流れを
止められないとなると、DRM(Digital Rights Management
デジタル権利管理)で縛って、
使い勝手をやたら悪くしてきたりと
必死に妨害工作をしてきたと感じるのは
僕だけではないでしょ。

それが、今や、「音楽配信」、「着うた」の人気が
CD売り上げにも好影響、なんて
よく言えますね〜という思いです。
iTMS(iTunes Music Store)の低料金の楽曲サービスで、
ソニーのMora,他のサイトも当初から比べて
安くなってきているのが、
多くのファンに支持されているということを
忘れないでください。
自分たちの既得権益だけを守ろうとする行為は
日本の音楽産業をだめにするだけです。


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