忠臣蔵 ☆ ホームズ
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忠臣蔵 ☆ ホームズ
龍馬、お気に入り
探偵ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
龍馬伝の最終回はちょうど暗殺のシーンで、選挙のテロップが流れてNHKに非難囂々の嵐だったとか。確かに今回の龍馬伝は独特の映像で、さらに暗殺のシーンは薄暗い部屋の中という設定でしたから、それでなくても見づらい上に、そのうえテロップではねぇ・・・
気持ちは分かります。
でも、それを見積もっても、最終回にしては、こうもっと盛り上がりに欠けると言うか・・・
龍馬の暗殺者が誰だったかという謎解きもなかったようだし龍馬が死に当たって、最後に言った言葉ももうひとつだったなぁ。
史実をベースにしたとしてもあくまでも物語なのだから、もっと盛り上げて終わって欲しかったというのが感想でありやす。
実は、今回盟友の中岡慎太郎の役だった上川隆也さんが演じた龍馬(平成9年<1997年>1月1日放映のTBS大型時代劇スペシャル「竜馬がゆく」)がけっこう良くて、しばらくはまりましたね。
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上川龍馬の最後、感動しました。
さて、今回の龍馬伝の最終回、岩崎弥太郎の死亡シーンには岩崎弥太郎の子孫も目を丸くした、とのことですよ。ここから。
まぁ、何度も言うようですが「大河ドラマ」なんですから、ドラマとして見る事が必要ですよね。
今日は「赤穂浪士」の討ち入りの日。こちらも「忠臣蔵」というお芝居が元であることも覚えておきましょう。
ちなみに僕は吉良の出身ではありません。
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忠臣蔵の季節
ホームセンターからは・・・
忠臣蔵の季節が近づいてきましたね。と、会社で言っても新人くんたちはあまり関心を示す人がいません。
それでも、忠臣蔵はやはり12月の風物詩といって良いでしょう。それに忠臣蔵は今回映画化もされて(「最後の忠臣蔵」12月18日公開)、ひそかにブームなんだぜ〜、と自慢してみよう。
映画の前評判はこちら。
さて、その忠臣蔵、「忠臣蔵〜その男、大石内蔵助〜」とい
うタイトルで年末放送予定(テレビ朝日)だって。
主演は大石内蔵助初挑戦の田村正和さん。
他の配役が大石りく(岩下志麻)、浅野内匠頭(玉山鉄二)
阿久里(瑤泉院)(檀 れい)、堀部安兵衛(小澤征悦)、
立花左近(北大路欣也)、浮橋太夫(石田ゆり子)、
戸田局(梶芽衣子)、柳沢吉保(伊武雅刀)、そして敵役の
吉良上野介には西田敏行さんといった面々。
山本周五郎原作『樅ノ木は残った』でやはり主演・田村正和でドラマ化されたものを見ましたが、孤軍奮闘、伊達家を守る原田甲斐を熱演していました。自らの避けられぬ運命を悟りつつ、それでも母にはただならぬ気配を悟られ、左半面でそっと涙する田村さんの演技は秀逸でした。
今回の大石内蔵助も楽しみです。
過去多くの人がこの役を演じてきましたが、僕が特に気に入っている大石内蔵助は昭和57年(1982年)開始のNHK大河『峠の群像』(とうげのぐんぞう)での緒形拳演ずる大石。のっぴきならぬ運命に翻弄されつつ、徐々に徐々にあだ討ちを決意決行していく大石内蔵助を演じていました。
確か(記憶はあいまいなんだが)、あだ討ちの決意をなかなか明らかにしない大石に業を煮やした不破数右衛門が切りかかったか、切りかかろうとしたか、どっちかは忘れてしまいましたが、その時の緒形内蔵助の苦渋に満ちた決意の表明、
すごかったな。
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それとやはり大河、平成11年(1999年)開始の『元禄繚乱』(げんろくりょうらん)。主演大石内蔵助は中村勘九郎(現・十八代目中村勘三郎)。もしかしたら、この大石が原型に一番近いかな、と思わせる演技でした。決してスーパーマンに描いていないところが良かった。その意味では、他の作品ではあまりにも良妻に描かれる、妻のりく(大竹しのぶ)の描き方も嫌味でなくて印象に残っています。
萩原健一が演じた徳川綱吉も怪演、とにかく俳優陣がうまいの一言。
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残念ながらDVDは発売されていません
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里見浩太朗の大石は堂々たるスーパーヒーローです。
・・・・・
でもいつも言うのですが、「忠臣蔵」はお話ですからね。
赤穂事件をそのまま忠実にお話にはしていませんから、孫さんみたいに怒らないでね。
赤穂浪士 切腹の絵図
ホームセンターからは・・・
14日は多くの日本人にとっては忘れられない日、そう、討ち入りの日である。
しかし、この「忠臣蔵」がいわゆるお芝居であって、その後多くの人がこれを史実と勘違いしているという指摘が数多くなされてきた。僕もいくつか紹介してきたわけだが、そもそも敵となった吉良上野介が、一体いかなる理由で浅野に襲われなくてはならなかったのかがいまだに謎のままなのである。
ところが、多くの人は「吉良が浅野に意地悪をした」、いわく「饗応役の接待の仕方を教えなかった、例えば、畳替えを一方の伊達家には指南し、浅野には指摘しなかった・・云々」、これすべて後世の「忠臣蔵」というお芝居からのイメージ操作を受けている可能性が大なのである。
絵図の左側に描かれている切腹後の遺体は大石内蔵助とみられ、中央で切腹しようとしている浪士は、副将の吉田忠左衛門とみられている。興味深いのは、ほかの絵と違ってリーダーの大石が脇役のように描かれ、早々と遺体となって処理されていること、また、ほかの浪士たちも罪人として隅のほうに描かれているということ。
ほかの切腹を描いた4点の絵より、最も早い時期に描かれたものというから、いわゆる「忠臣蔵」の影響を受けていない、つまり浪士たちが美化される前のごく普通の受け止めかたを描いているのではと思う。
「忠臣蔵」は日本の誇る最高のお芝居で、僕も大好きだが、史実はきちんと踏襲する姿勢は受け継いでいきたいものである。
忠臣蔵、幕府の処罰は不当だったか
ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
「忠臣蔵」という「お芝居」のせいで、いまなお冤罪を着せられたままの吉良上野介の哀れ、無念を僕らは忘れ
てはいけないと思います。
さて、実はこの「お芝居」で、もう一人損な役割を演じ
ている人がいます。
それは将軍徳川綱吉です。
つまり浅野と吉良の「けんか」なのに、一方が即日切腹、一方がお構いなしという仕打ちは「喧嘩両成敗」というルールに反している、おかしい、しかも大名の処分
をよく吟味せず、即刻処断するとは性急すぎる、綱吉の横暴さがゆえんだ・・などなど。
赤穂事件の発端となったのは、江戸城松の廊下での刃傷事件でした。
ではこの浅野ー吉良の刃傷事件意外に、こうした事例はなかったのか・・というと、実はあるのです。
[例1]
寛永5年(1628)目付豊島明重が老中井上正就(まさなり)を刺殺。
この処分は、豊島明重自身はその場で自害。豊島家は断絶。明重の嫡男は切腹を命じられ、刃傷の翌日には実行に移されています。
[例2]
寛文10年(1670)江戸城中の祐筆部屋で大橋長左衛門と水野伊兵衛が「けんか」、水野は刀を抜きましたが、抜いただけで相手の大橋は無事・・
これにどのような裁断が下ったかというと、水野には死罪。大橋はお構いなし。
? 明らかな「けんか」なのに両成敗ではないのです。ちなみにこれは赤穂刃傷事件の31年前の事件です。
[例3]
これは享保年間、同じ松の大廊下で、松本城主水野忠恒(ただつね)が「乱心」して、長府藩の毛利師就(もろなり)に切りかかるという事件が発生。毛利は鞘で身を守りました。
この仕置きは、水野は蟄居、毛利はお構いなし。
「けんか」ではなく「乱心」です。
などなど。
・ ・ ・ ・
分かることは、なぜ両者の間でそういう事態になったのかは、あくまでも二次的な話であり、幕府からすれば、刀を抜いたかどうかかが大きな問題となるのですね。
殿中では、とにかく刀を抜くという行為自体が重大な犯罪行為なのです。おそらく公儀に対する挑戦的な行為、不敬罪という見方なのでしょう。
ことに浅野内匠頭の事件は、勅使をお迎えするという、まさに幕府をあげての一大セレモニーの中で引き起こした刃傷です。不敬罪プラス職務放棄という重大な背信行
為ですから、やむをえない、というより至極当然の処罰であったと思います。
いや、むしろ、もっと重い罪で裁いてもよいところを、武士の礼を重んじ、切腹を許しているわけで、この裁きで綱吉を責めるのは酷というものです。
一方、吉良は、最後まで殿中であることを忘れず、刀を抜いて応戦しなかったのですから、お構いなしという処置も全くおかしくありません。
それに加え、前回の梶川与惣兵衛筆記から、浅野と吉良の刃傷事件は、「けんか」ではなく、浅野の一方的な「暴行」ということは明らかですから。
もっとも綱吉という将軍はさまざまな所業から、決して褒められた人ではなく、個人的には嫌いです。
ただ、この浅野の刃傷事件での裁断は、巷で言われるような「片手落ち」な裁きではありません。
・ ・ ・
では、浅野内匠頭が切りかかったのはなぜなのか。
当日の刃傷の原因を知らなかった大石内蔵助が、これをあえて「けんか」として、吉良に討ち入ったのはなぜな
のか。
討ち入り後、一同が泉岳寺で切腹せず、幕府に捕らわれたのはなぜか。
以上のことで関心があれば、
「一精神科医による浅野内匠頭の精神鑑定書」
(中島静雄 著)
「忠臣蔵 元禄十五年の反逆」
(井沢元彦 著)
をお読みください。目からうろこです。
忠臣蔵、吉良は本当に悪人か
ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
忠臣蔵はお芝居と昨日書きましたが、あのストーリをそのままに信じ込まないほうがいいですよ。
僕たちが知っている忠臣蔵のイメージやストーリーは、これすべて「仮名手本忠臣蔵」というお芝居が下敷きにあるものです。
例えば、松の大廊下での刃傷事件、この原因が芝居さながらの「吉良上野介のいじめ・いやがらせ」と考えている方は思い直したほうがよろしい。
「時は元禄14年3月14日。江戸城は朝から勅使や院使の歓迎式に追われる日でした。
午前9時半ごろ、大奥の留守居番役、梶川与惣兵衛は桂昌院からの言付けを伝達しに、まず浅野に会いました。その後、白書院から吉良がやってきたので、向かい合い、立ち話をします。その時、突然、吉良の背後から「このあいだの遺恨覚えたか。」と切りかかってきた者があって、よくみればそれが浅野内匠頭だったのす。吉良は振り向きざまを斬られて、さらに逃げようとしたところを斬られます。梶川は浅野の背後からとびつき取り押さえました。」
・・・これが「梶川与惣兵衛筆記」に今も残る刃傷の情景です。
? 芝居では、浅野と吉良が直前にいさかいをおこしていて、そこに梶川が桂昌院の言伝を伝えにきますね。で、吉良が「そのような田舎侍に伝えるには及ばん。
フナザムライが。」などと罵倒。かっとなって刀の柄に手をかける内匠頭に、その手を扇子でたたいて「殿中じゃぞ。抜けば身は切腹、御家は断絶、さ、さっ、その覚悟あれば抜けぃ。」とあおりたてます。梶川は「吉良さま、そのあたりで。」とつつましくとめようとするのですが、浅野がついに暴発、大事件が起きるという設定ですね。
実際の状況検分書といってもよい「梶川与惣兵衛筆記」にはそのような記述はありません。
だから事件の冒頭からしてフィクションであり、吉良上野介はむしろ被害者です。
では芝居で言われるような吉良による「いやがらせ・いじめ」はあったのか?
例えばこんなシーンです。
A 数々の恨み。いわゆる、
「勅使を迎える屋敷に置く屏風をわざと墨絵と指示し
た。」
「勅使にだす料理を、精進料理と間違えた指示をだし
た。」
「芝の増上寺の畳替えをしなくてもよいと指示をだし
た。」
「大紋ではなく長裃の衣装でよいと指示した。」
⇒ 芝居では必ず登場します。でも皆さん、冷静に考えて、ありえますか。そのようなことが。もし僕が接待を
指揮する吉良の立場で、わざと嫌いな部下に誤った指示をだし、当人に恥をかかせる?
・・・確かに恥はかくでしょう、でもそれは当人だけではなく、責任者の僕が、ひいてはその役目を僕に任せた会社(直属の上司、社長)が。でしょう? さらに当然その職務上の責任も問われるでしょうね。
まして、これは勅使がやってくる、幕府にとって重要な接待なのですよ。吉良上野介がそんなリスクを冒してやりますか? ありえない話です。
B 吉良が指導料として莫大な賄賂を要求した
⇒ もしもこうした金銀のやりとりや要求があれば赤穂の記録に残るはずですね。赤穂側からすれば 接待の仕事をこなすための「公金」として処理できるのですから隠す必要はありません。
C 塩田の技術伝授をしなかった
⇒ 当時の塩田の技術といっても、自然に影響されるのが大で、吉良の塩田の技術に対し、赤穂の塩田技術がとりたてて優れていたというわけでもない。まして家をつぶすほどの恨みを持ったとは思えません。
はい、以上からして浅野が吉良に切りかかる理由はない
のです。「梶川与惣兵衛筆記」が記したとおりなんの前
触れもなくいきなり切りかかったとみるのが筋ですね。
何より当の赤穂浪士のリーダー、大石内蔵助も刃傷の理由を知ってはいないのです。
「去年三月、内匠頭儀、伝奏御馳走(でんそうごちそう)の儀に付(つき)、吉良上野介殿へ意趣
(いしゅ)を含み罷在り候処(まかりおりそうろうところ)、殿中に於て、当座忍び難き儀ご座候か 刃傷に及び候。(以下略)」
去年の三月、主人内匠頭は勅使接待のお役目をいただきましたが、その間、吉良上野介殿に対し、恨みを抱いておりました。そして、殿中において我慢が出来ないことがあったのでしょうか、刃傷に及びました。(以下略)
これは「浅野内匠頭家来口上書」という資料。映画などで、討ち入りの直前に庭先に青タケにはさんで立てるヤツです。「俺たちはこういう理由で、吉良を討ちに来たんだよ。」と理由をしたためたものです。
ここで注意して欲しいのは、「殿中に於て、当座忍び難き儀ご座候か」と疑問形になっていること。
つまり、討ち入り当日になっても、刃傷の直接のきっかけとなった理由が、リーダーの大石内蔵助も分かっていなかったのです。
そして、もし相応の理由があったなら、ここに「接待での指示でこういう出来事があった」とか「財政をゆるがしかねない金品の要求があった」とか、上記にあるような理由があれば、もっと具体的に書いたはずです。
だって、そうしなかったら、浅野は結果として、自らの短気からお家をつぶした暗君のように思われるじゃありませんか。
こういった点からも、刃傷事件に端を発した赤穂事件はあったけど、あくまでも「忠臣蔵」はお話としてみるべきなのです。
忠臣蔵の魅力
ホームズ、今日の「とっておき話」の
ホームセンターからは・・・
12月はいろんな話題がありますが、毎度毎度どこかで耳にしたり目にしたりするものに「忠臣蔵」が
あります。今週も討ち入り日がやってきますね。
一年が過ぎるのは早いものです。
僕たち日本人はなぜこうも「忠臣蔵」に魅かれるのかな・・・
耐えに耐えた怒りが爆発し、刃傷に及ぶ松の廊下のシーン。
即刻庭先での切腹を命ぜられ、無念の思いを抱きつつ、命を絶つ浅野内匠頭。遠めに主人とお別れをする片岡源五右衛門。
討ち死にか城明け渡しかで揺れる赤穂藩。
主人の遺志を継ぎ、すべてを投げ打つ大石内蔵助と家臣。
討ち入りにいたるまでの世間からの冷たい視線。
脱落する同士。
赤埴源蔵の「徳利の別れ」や大石の「南部坂雪の別れ」などの胸打つドラマの数々。
討ち入り。
そして幕府を悩ますお仕置き。
とまあ、実に起伏に富んだストーリーです。
内匠頭が吉良にいびりぬかれ、最後に抜刀するシーン。ひそかにお別れと敵討ちの決意をつげに来た内蔵助の心中を図りかね、つらくあたる内匠頭の妻阿久利。そしてその意図を知り詫びるシーンなどなど
すべてといっていいほど、日本人の心のつぼを押えている気がします。
思うに、「赤穂の腰抜けサムライ」と世間から踏みつけられ耐え忍んだ思いが、最後にパッと大輪の花を咲かせるところが「してやったり」の爽快感を演出するのでしょうか。
大石内蔵助こそ歴史上まれに見るリーダーの一人でしょう。仮に歴史上の人物のなかで誰を上司に持ちたいかと問われたら・・・
戦国三代英雄なら、天下を取るまでの豊臣秀吉、徳川家康は候補でしょうが、織田信長を上司に持ったら毎日生きた気がしないかもしれません。ほか、平将門、足利尊氏、西郷隆盛や吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟と、とめどもなく名前がでてきますが、大石は間違いなく上位ランクインでしょうね。
忠臣蔵はあくまでもお芝居の世界ですが、この世に
大石内蔵助という人物を誕生させてくれた歴史の神様にはいくら感謝してもしたりない思いです。